2月講話  坂の上の病院

 

「まことに小さな病院が開花期を迎えようとしている。」司馬遼太郎だとこう言うだろうか・・・。

 

私は、種子島へ入港する高速船から見上げる小高い丘に立つ白い病院の姿が好きである。坂を登り切った処、斜めの坂の上に椰子の木と白い建物が、種子島の澄み切った青い空の中に浮かぶ、まことに絵になる佇まいである。

 

決して大きな病院ではなく、今風の病院建築でもなく、かといって昭和風の古めかしい建物でもない、種子島の自然に溶け込んだ病院としか言葉が浮かばない。

 

正面玄関を入れば、混雑した外来がいつもの風景である。救急車が来れば、待たされている患者たちをかき分けて、と言うか、自然に導線が救急室へと開かれるのである。患者たちも心得ている。

 

この病院は、人口3万人足らずの離島の医療を50年間担ってきた。そして、これからも担おうとしている。

 

グーグルには心ない悪評も見られ、職員たちを歯ぎしりさせる。仕事に追われ、ただ懸命に患者たちをケアしようとする彼等には、誠に可哀相なことなのだが、ちょっとした対応を責められる。

 

勿論、褒めてくれる投書もあるのだが、数が少ないのが残念である。医療者の宿命と言えばそれまでだが、彼等の使命感が挫けないことを祈るばかりである。

 

が、その使命感を奮い立たせるのも患者からの言葉なのである。

「元気になりました。ありがとう!」

 

坂の上の病院は今日も黙々と働いている。

 

余談だが、病院の創始者である田上容正医師は穏やかな人物で、書を読み、筆の達人、短歌を詠み、合唱団で歌う。ボーリングやゴルフもかなりの腕前で知られ、麻雀も楽しむ。患者は物腰が穏やかで人生に精通している医師と接することを好む。病院が今日まで続いてきたことは、彼の人柄に負うところが大きい。

 

病院長 髙尾 尊身