1969年、会長田上容正が実家のあったこの場所に「田上容正内科」を建設。種子島の皆様に愛される病院を目指し、13床の診療所からスタート。スタッフも医療機器も足りず、十分な医療設備のない中、島民の命を守る医療を懸命に模索した。
昭和37年東町本通り(4点ともに古賀写真館提供)
昭和40年代前半東町海岸通り
昭和40年代天神町の埋立地
昭和40年代後半埋立前の天神前通り
1969(昭和44)年 12月 田上容正内科開院
開院当時の様子
開院を支えた病院スタッフたち
開院日からのカルテは現在も大事に保管されている
1980(昭和55)年 2月 人工透析開始
当時の透析室
1981(昭和56)年 9月 医療法人容正会設立
1982(昭和57)年 5月 28床になる
当時の病院スタッフ | 昭和58年の頃の田上容正会長 |
「本土並みの医療をいつでも受けられるように」と、医療体制と質の充実を図るため施設を拡張し、高度な医療機器を導入。鹿児島大学病院から医師が派遣されるようになり、ほとんどの外科手術が可能になった。1989(平成元)年には、創立20周年を記念して院内報『飛魚』を創刊。
1984(昭和59)年 | 3月 | 56床病院を新築 |
全身用CTスキャナ導入 | ||
7月 | 医療法人義順顕彰会 田上病院設立 |
新築落成記念祝賀会
外科手術の様子
全身用CTスキャナ
1985(昭和60)年 | 11月 | 病床数99床になる |
1987(昭和62)年 | 救急告示病院認定 |
1989(平成元)年 | 12月 | 20周年記念 院内誌『飛魚』創刊 |
平成元年『飛魚』創刊号の 編集スタッフ | 院内報『飛魚』 創刊号 |
1991(平成3)年 | 7月 | 介護老人保健施設わらび苑開設 (入所50床、通所10名) |
開苑当時のわらび苑
1994(平成6)年 | 1月 | MRI設置 |
脳神経外科新設 標榜科目8 | ||
(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、理学療法科、脳神経外科) | ||
2月 | 病床数202床になる | |
6月 | 高気圧酸素治療装置導入 | |
7月 | 泌尿器科新設 標榜科目9 | |
(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、理学療法科、脳神経外科、泌尿器科) |
当時の田上病院
高気圧酸素治療装置
1995(平成7)年 | 1月 | 病床種別変更 |
(一般病床157床・療養型病床群45床) | ||
3月 | わらび苑 痴呆棟開設のため78床に増床 | |
(痴呆20床、一般58床) |
1996(平成8)年 | 11月 | 理学療法科をリハビリテーション科へ変更 |
リウマチ科新設 標榜科目10 | ||
(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、リウマチ科) |
1997(平成9)年 | 4月 | 眼科新設 標榜科目11 |
(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、リウマチ科、眼科) | ||
5月 | 訪問看護ステーション「野の花」開設 |
当時の訪問看護ステーション「野の花」 |
1998(平成10)年 | 院外処方戦運用開始 |
平成11年以前の田上病院 |
病棟の再編を重ね、いち早く電子カルテを導入するなど、さらなる充実を目指し、新たな医療に挑む。こうした離島医療への貢献が認められ、当時理事長であった田上容正は2007(平成19)年に医療功労賞、2008(平成20)年に県民表彰を受賞。
1999(平成11)年 | 4月 | 田上病院長に田上容祥就任 |
6月 | 理学療法Ⅱ認可 | |
7月 | 種子島サンセット車いすマラソン大会に救護ボランティアとして参加 |
種子島サンセット車いすマラソン大会 |
2000(平成12)年 | 2月 | 麻酔科、放射線科新設 標榜科目13 |
(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、リウマチ科、眼科、麻酔科、放射線科) |
2001(平成13)年 | 2月 | 6階建に増築 |
5月 | 作業療法Ⅱ認可 |
6階建に増築中の様子 | 令和2年現在の建物 |
2002(平成14)年 | 電算室増築 | |
8月 | 循環器科新設・リウマチ科廃止 | |
標榜科目13(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、眼科、麻酔科、放射線科、循環器科) |
2003(平成15)年 | 2月 | オーダリングシステム稼働(シーエスアイ) |
4月 | 田上診療所開設(所長に竹野孝一郎就任) | |
5月 | 第二種感染病床2床 | |
結核モデル病床2床 使用許可 | ||
6月 | 病床種別変更(一般病床157床から202床に〈うち第二種感染症病床2床〉・結核モデル病床2床新設・療養型病床群廃止) | |
8月 | 病床種別変更(一般病床202床のうち、回復期リハビリテーション病棟36床認可) | |
看護支援システム稼働 |
開設当時の 田上診療所 |
2004(平成16)年 | 1月 | 電子カルテシステム(診療記録) |
稼働(シーエスアイ) |
電子カルテシステム |
5月 | 心臓カテーテル検査開始 | |
6月 | 病院機能評価 複合B認定 | |
地域リハビリテーション広域支援センター指定 | ||
10月 | 病棟再編 | |
内科病棟・整形病棟移動 |
2006(平成18)年 | 4月 | 病棟再編 |
15対1入院基本料(166床) | ||
結核入院基本料(2床) | ||
回復期リハビリテーション病棟(36床) | ||
5月 | 病棟再編 | |
15対1入院基本料(202床) | ||
3階東病棟 回復期リハビリ病棟の取り下げ | ||
3階東病棟、4階病棟移動 | ||
結核モデル病床2床 | ||
7月 | 病棟再編 | |
15対1入院基本料(154床) | ||
結核入院基本料(2床) | ||
4階病棟 回復期リハビリテーション病棟(48床) | ||
9月 | 13対1入院基本料(154床) | |
11月 | 10対1入院基本料(154床) |
2007(平成19)年 | 1月 | 心療内科新設 標榜科目14 |
(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、眼科、麻酔科、放射線科、循環器科、心療内科) | ||
田上容正理事長「医療功労賞」受賞 | ||
12月 | 看護師寮新築 |
医療功労賞表彰式の様子 | 看護師寮(現在は一般寮に) |
2008(平成20)年 | 1月 | 中央材料室・手術室改築 |
田上容正理事長「県民表彰(鹿児島県)」 | ||
「市民表彰(西之表市)」受賞 |
県民表彰賞表彰式の様子 |
2009(平成21)年 | 4月 | 亜急性期病床8床運用開始(3階東病棟8床) |
DPC請求開始 | ||
管理棟新築 | ||
呼吸器科新設 標榜科目15 | ||
(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、眼科、麻酔科、放射線科、循環器科、心療内科、呼吸器科) | ||
『飛魚』が年報誌に | ||
5月 | 薬局改築 | |
安全キャビネット・クリーンベンチ導入 | ||
6月 | 「日本医療機能評価Ver5.0」認定 | |
9月 | 亜急性期病床12床へ増床 | |
(3階東病棟8床、3階西病棟4床) | ||
10月 | 田上病院開院40周年記念式典 |
ピアニスト西村由紀江さんの伴奏で合唱する種子島中学校の生徒の皆さん | 中山恭子先生(当時参議院議員)による記念講演 |
種子島をはじめ、熊毛医療圏の地域中核病院としての責任を果たすため、社会医療法人として再出発。創立からの目標であった島内完結医療の実現に向け、他の医療施設や介護保険施設と連携を取り、未来を見据えた新しい離島医療に取り組む。
2010(平成22)年 | 2月 | リウマチ科新設 標榜科目16 |
(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、眼科、麻酔科、放射線科、循環器科、心療内科、呼吸器科、リウマチ科) | ||
4月 | 社会医療法人認定、改組 | |
会長に田上容正就任 | ||
理事長に田上寛容就任 | ||
6月 | 副院長に田上純真就任 | |
8月 | ハイケアユニット4床設置(2階病棟) | |
鉄砲まつり手踊り参加 | ||
12月 | 「鹿児島県がん診療指定病院」指定 |
鉄砲祭りに参加 |
2011(平成23)年 | 4月 | 消化器内科新設 標榜科目17 |
(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、眼科、麻酔科、放射線科、循環器科、心療内科、呼吸器科、リウマチ科、消化器内科) | ||
8月 | 新電子カルテシステム稼働 | |
(ソフトウェア・サービス) |
2012(平成24)年 | 9月 | 亜急性期病床16床へ増床 |
(3階東病棟12床、3階西病棟4床) | ||
11月 | ハイケアユニット4床廃止 |
2013(平成25)年 | 1月 | 介護保険訪問リハビリ開設 |
4月 | 亜急性期病床20床へ増床 | |
(2階病棟8床、3階東病棟8床、3階西病棟4床) | ||
5月 | 320列CT導入 | |
MRI更新 | ||
検査室、小児科周り改修工事 |
2014(平成26)年 | 1月 | X線TV装置(X線透視装置)更新 |
2月 | 生化学検査機器更新 | |
自動精算機1、2号機更新 | ||
3月 | DMAT隊結成 | |
4月 | 副会長に田上容祥就任 | |
病院長に髙尾尊身就任 | ||
副院長に山口智代子就任 | ||
8月 | 放射線室内ネットワーク機器更新 | |
9月 | 検査画像統合システム・放射線情報管理システム更新 | |
10月 | 亜急性期病床廃止 | |
遠隔医療支援システム(SCOPIA)稼働 | ||
12月 | 自動分包機稼働 |
2015(平成27)年 | 1月 | 病棟再編 |
3階東病棟 地域包括ケア病棟42床 | ||
4月 | 脳神経外科医師の非常勤体制開始(常勤医不在) | |
へき地診療支援センター開設 | ||
(センター長に猿渡邦彦就任) | ||
法人事務局長に羽生守彦就任 | ||
肝臓内科、腎臓内科、血液内科、糖尿病内科、神経内科、消化器外科、肝臓・胆のう・膵臓外科、乳腺・甲状腺外科新設 | ||
標榜科目25(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、眼科、麻酔科、放射線科、循環器科、心療内科、呼吸器科、リウマチ科、消化器内科、肝臓内科、腎臓内科、血液内科、糖尿病内科、神経内科、消化器外科、肝臓・胆のう・膵臓外科、乳腺・甲状腺外科) | ||
5月 | 遠隔病理診断システム導入 | |
末血検査機器更新 | ||
医師住宅5棟完成(松畠) | ||
ステラッド滅菌器更新 | ||
ペインクリニック内科新設 | ||
標榜科目26(内科、外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、リハビリテーション科、脳神経外科、泌尿器科、眼科、麻酔科、放射線科、循環器科、心療内科、呼吸器科、リウマチ科、消化器内科、肝臓内科、腎臓内科、血液内科、糖尿病内科、神経内科、消化器外科、肝臓・胆のう・膵臓外科、乳腺・甲状腺外科、ペインクリニック科) | ||
6月 | 鼻用手術装置導入 | |
7月 | 田上診療所休診(8月末まで) | |
耳鼻科手術開始 | ||
8月 | 回転用X線撮影装置更新 | |
外科用X線テレビシステム更新 | ||
9月 | 病理解剖1例目実施 | |
10月 | 脳神経外科 常勤医師による診療開始 |
2016(平成28)年 | 1月 | 無停電源装置更新 |
3月 | 結核病棟の陰圧工事 | |
4月 | 病院名を種子島医療センターに変更 | |
病院長補佐に花園幸一外科部長、北園和成内科部長を任命 | ||
看護局長に山口智代子就任 | ||
看護部長に戸川英子就任 | ||
5月 | 「地域がん診療病院」指定(厚生労働省) | |
がんサロン「サロン種子島」開設 | ||
医師住宅(単身赴任者用)2棟完成(松畠) | ||
眼底撮影システム一式更新 |
現在の医師住宅 |
8月 | 全自動散剤分包機(Sinngle-R93ZⅡ)更新 | |
9月 | 病院内空調機更新 | |
訪問リハビリテーションを訪問看護ステーション「野の花」に編入 | ||
10月 | 鹿児島県行政視察(県議会環境厚生委員会) | |
12月 | 超音波診断装置ARIETTA70更新 | |
生体情報モニターシステム(オムロンV7000)更新 |
2017(平成29)年 | 1月 | 種子島医療センター病院祭 |
病院祭にて。諏訪中央病院名誉院長鎌田實先生による特別講演 |
2月 | 病理解剖2例目実施 | |
3月 | 医師住宅2棟完成 | |
4月 | わらび苑施設長に猿渡邦彦就任 | |
5月 | 鹿児島県総合防災訓練参加(DMAT隊) | |
7月 | 内視鏡室改修および内視鏡システム更新 | |
9月 | ベッド更新10台 | |
10月 | 「日本ヒト細胞学会学術集会in種子島」開催(大会会長 髙尾尊身病院長) | |
DMAT訓練に参加 |
日本ヒト細胞学会学術集会in種子島。挨拶をする髙尾尊身病院長(右写真) | ||
種子島空港にてDMAT訓練 |
2018(平成30)年 | 3月 | 平成29年度西之表市災害対策訓練参加 |
医師住宅2棟完成 | ||
4月 | わらび苑施設長 猿渡邦彦 種子島医療センターへ異動 | |
わらび苑施設長に池村紘一郎就任 | ||
ベッド更新50台 | ||
看護師特定行為研修者養成開始(2名を鹿児島大学へ派遣) | ||
6月 | IABP装置導入 | |
「Life on the long board 2nd wave」映画撮影 | ||
7月 | ベッドサイドモニター2台 | |
人工呼吸器2台増設 | ||
8月 | 副病院長に濵之上雅博就任 | |
眼科用検査機器一式更新 | ||
鉄砲まつり手踊り参加 | ||
救急自動車導入 | ||
9月 | 「ジロ・デ・種子島2018」サイクリング大会救護支援 | |
10月 | 種子島医療センター看護PR大使に松原奈佑さん(女優)を任命 | |
11月 | 病理解剖3例目実施 | |
電話機交換、配線工事 | ||
厨房床改修工事 | ||
日本病院機能評価機構による病院機能評価 受審 | ||
病院近隣土地の購入(1,940.86㎡) |
2018年鉄砲まつり | 新入職員歓迎会 |
2019年 | 1月 | 社会医療法人に係る実地検査(鹿児島県) |
(平成31/令和元年) | 3月 | 駐車場拡張工事 |
4月 | 鹿児島大学に寄付講座「心血管病予防分析学講座」設置 | |
事務部に広報企画課設置 | ||
5月 | 病院機能評価(3rdG:Ver. 2.0)「一般病院2」認定 |
2020(令和2)年 | 3月 | 法人事務局長 羽生守彦氏 辞職 |
4月 | 新型コロナウイルス感染症拡大に伴い、入院患者への面会制限開始 | |
7月 | 発熱・接触者外来(簡易診察室)設置・稼働開始 | |
モバイルリアルタイムPCR装置導入 | ||
行政合同(保健所・1市2町)での新型コロナウイルス対策本部設置 | ||
新型コロナウイルス感染症患者の搬送訓練実施(合同訓練) | ||
8月 | HER-SYS稼働開始 | |
通信機器を用いたオンライン面会開始 | ||
eラーニングシステムを用いた院内研修開始 | ||
11月 | 新型コロナウイルス感染症等入院病床 協力医療機関指定 |
2021(令和3)年 | 1月 | 職員宿舎建設予定地購入(1,208㎡) |
2月 | 新型コロナウイルス感染症等入院病床 重点医療機関指定 | |
法人看護局長 山口智代子氏 退任 | ||
3月 | モバイルリアルタイムPCR装置2台目導入 | |
医療従事者への新型コロナワクチン接種1回目実施 | ||
田上診療所院長 竹野孝一郎氏 辞職 | ||
4月 | 医療従事者への新型コロナワクチン接種2回目実施 | |
田上診療所院長 岩元二郎氏 就任 | ||
5月 | 職員宿舎建設着工 | |
6月 | 病院北側駐車場新設 | |
3階西病棟トイレ大規模改修工事 | ||
ベッドパンウォッシャー4台導入 | ||
8月 | 2階病棟多目的トイレ オストメイト改修工事 | |
10月 | 職員宿舎(スカイブルーハイツ)2棟 完成 | |
12月 | 医療従事者への新型コロナワクチン接種3回目実施 | |
2階、3階ロビー大規模改修工事 | ||
わらび苑施設長 池村紘一郎氏 辞職 |
2022(令和4)年 | 1月 | わらび苑施設長 猿渡邦彦氏 就任 |
3月 | わらび苑施設長 猿渡邦彦氏 辞職 | |
救急チーム結成 | ||
5月 | わらび苑施設長 松本松昱氏 就任 |
想いをつないで半世紀。
「しあわせの島、しあわせの医療」へ。
「しあわせの島、しあわせの医療」へ。
理事長 田上 寛容
社会医療法人 義順顕彰会 種子島医療センターは、2019(令和元)年12月に創立50年を迎えました。 わずか13床の診療所からスタートした当センターは、多くの方々、さまざまな機関からご協力をいただきながら、24時間365日体制の救急医療をはじめ、高度な医療を行うための機器、施設、体制を整備し、204床を有する総合病院へと成長しました。 その一歩は、「種子島の人々の命を守りたい」という田上容正会長の想いから始まりました。1969(昭和44)年12月8日、実家のあったこの場所に「田上容正内科」を開院。開院当初の病室は馬小屋を改造したものだったそうで、十分な医療設備のない中、患者さん一人ひとりと真摯に向き合い続けることで徐々に来院者数は増加しました。 そんな中、当時の種子島では受けられない医療を求めて本土にわたる島の人々の精神的、経済的な困窮を強く感じるようになり、「種子島の医療は種子島で」という思いから、診療の合間を縫って行政や島外の病院へ陳情や協力の要請を重ねていきました。そうした想いは人々に伝わり、次第にさまざまな方が協力してくださるようになったのです。 | こうして種子島に必要な医療をひとつずつ取り入れていき、診療科目も徐々に増えていきました。名称は「田上病院」と改められ、1994(平成6)年には内科のみならず外科、整形外科、皮膚科、小児科、耳鼻咽喉科、理学療法科、脳神経外科を備えるまでになりました。 2010(平成22)年に社会医療法人へ改組。2016(平成28)年4月には、島民のための病院という夢と熊毛医療圏の地域中核病院としての責任を果たすため、病院名を「種子島医療センター」と改め、新たなスタートを切りました。 現在、当法人は病院の他に中種子町に田上診療所を、その他に介護老人保健施設わらび苑、訪問看護ステーション野の花を併設しております。また関連病院であるせいざん病院(精神科)や種子島産婦人科医院等の地域の医療機関、介護保健施設との密接な連携により、急性期から在宅まで、小児から高齢者まで切れ目ない医療介護を提供できる体制をとっております。 開業当時からの念願だった“島内完結の医療”を、さらに“住民が笑顔で暮らせる医療”へ。これからの50年も、「しあわせの島、しあわせの医療」を合言葉に取り組んでまいります。 |