種子島医療センター

田上理事長の講話
令和7年10月

 90歳の男性が救急車で運ばれてきました。

 冷汗をともなう強い胸痛を訴えており、救急外来にて心電図、心臓エコーを行うと明らかな急性心筋梗塞でした。緊急心臓カテーテル検査を行うと心臓の冠動脈が完全閉塞しており、そのまま冠動脈形成術を行うこととなりました。

 治療により冠動脈の血流は再開しましたが、経過中に心室細動という致死的不整脈が出現し心停止の状態となりました。心臓マッサージを行いながら直ちに電気的除細動を行い、心拍は再開したもののショック状態のため意識状態も悪化、直ちに気管内挿管及び人工呼吸を開始し、IABP(経皮的大動脈バルーンパンピング)を開始しました。

 その後、病棟での集中治療が始まり強心剤を含めたありとあらゆる薬が投与され、人工呼吸器による呼吸管理が続けられました。病状的には重症心不全の状態であり、いつまた心臓が止まってもおかしくない状態で、良くなったとしてもかなりの後遺症が危惧される状況でした。

 それから1週間後。治療の甲斐あり、その男性は「コーラが飲みたい」と話をするまでに病状が安定しました。


 もし、あと30分病院に着くのが遅れたら。もし、手術がすぐにできなかったら。もし、ヘリで鹿児島に送っていたら。そして、もしも種子島医療センターがなかったら。おそらく今、その男性はこの世にいなかったと思います。

 全国にさまざまな離島があると思いますが、これだけの重症疾患にこれだけ速やかに対処できる病院はおそらくないと思います。たとえ設備があったとしても、これだけ多くのスタッフが迅速に動ける体制で、しかも離島というハンデの中で良質な救急医療を行えている病院は当院以外にないと思います。もちろん、これだけの救急体制を維持するためには、医師を始めとした救急医療に直接関わる職員はもちろんのこと、それ以外のコメディカルを含めたすべての職員が支えてくれるおかげです。

 今回、家族の命を助けて頂いた職員のみなさんに心から感謝申し上げたいと思います。そして、私は皆さんに伝えたい。当院が種子島でこれだけの医療を提供できてきることがどれだけ素晴らしいことなのか。もっともっと自信をもっていいのではないでしょうか。


 その男性が小さい頃、青空に立ち上る入道雲を眺めながら「種子島の人を助ける仕事がしたい」と思ったことが種子島医療センターの始まりです。もう少し元気になったら、今回のことで彼がどう感じたのか。ゆっくり話をしてみたいと思います。


令和7年10月

理事長 田上 寛容

理事長講話一覧