石楠花の少女
ネパールとインドとの国境にある町から険しい山並を縫うように続く道を走り抜けカトマンズに向かうその道中、切り立つ山肌のところどころに赤い花が咲いていた。ネパールでは、春の訪れとともにこうして石楠花が毎年咲き誇る。ラリーグラスと呼ばれ、国花であるその石楠花を摘み、峠の道端に立って花束を売っている少女がいた。
「先生、ネパールじゃあ、一日に100人はオペやっとるんよ。そんなん、普通やで」
師匠は僕にそう話すと、いつものようにメガネのレンズの奥で瞳をキラリと光らせた。29歳のときに半年間カトマンズに住んでいたという師匠は、それから40年近くトレイルランのように絶えることなく眼科医療の道を走り続けている。だから、僕が一生かけてもはるか彼方にいてたどり着けるわけがないのである。
一日に100件も白内障手術をするなんて、物理的にもにわかには信じられなかった。そんなことできるわけないじゃん。でも、本当のことらしい。僕はいつか一度でいいから、自分の目でじかにネパールの世界を確かめたいと思っていた。
カトマンズにある大学病院のカンファレンスに参加した次の日、南に200km離れたゴールというインドとの国境にある小さな農村へ向かった。ほとんどの道路は舗装されていないガタガタ道で、道の脇のあちこちに「トラ出没注意」の看板が立っている。やっとのことで目的地にたどり着くと、のどかな田園地帯の一角に突然眼科病院があらわれた。40年前に日本人眼科医のグループが建設し、これまで地道に活動を続けて今日に至っているという。
患者であふれかえる外来をかき分けて薄暗い手術室に入ると手術台はふたつ用意されていて、介助の女性が座って準備を済ませていた。片方に男性の、片方に女性のドクターが現れて手術は静かに始まった。
一人の患者を手術するのに要する時間は5分弱。息を呑むほどに正確で美しいメス捌きであった。背中の曲がった老婆が執刀中の患者の足もとに腰かけて順番を待っている。入れ替えに1分から2分。術者のドクターと介助の女性には一切のむだな動きがなく、流れるように作業は進んでいった。ほとんど交わされる会話もないのは、なにも確認する必要がないからだ。長きに渡る手術教育の賜物だろう。たしかに一日に100人、いやそれ以上の白内障手術が行なわれていたのを自分の目で見届けることができた。ネパールの手術室の中はひんやりと冷たく、からんとして余計なものは何一つない。でもキリッと澄みきっていて、おだやかで、慈愛の心に満たされているようで、不思議と自分も安らかな気持ちになっていくのが分かった。
「先生、これが医療の原点なんよ。そんな感じするだろ?」
また師匠のメガネの奥で瞳がキランと光ったのが見えた。師匠の眼光はいつも鋭いが、深い深い優しさをもたずさえている。そうか、ネパールの手術室、これが医療の原風景なんだ。医者はただ患者を救うために、患者はただ病から救われるためにここにいる。それ以外のことは本当は必要ないはずだから、日本の医療は時間と費用と薬の無駄使いだらけなのかもしれない。
カトマンズの街はどこへ行ってもクルマとバイクと人間であふれ、誰もがあるがままに交差し合い、一目散にどこかに向かって歩き続けている。師匠はその雑踏の中をスタスタと早歩きで駆け抜け、僕はその後ろ姿をのろのろと追いかけていった。時おりくるっと振り返って僕がいるのを確認し、師匠はまた何も言わずにスタスタと群衆に溶け込んでいく。どこまでも広い世界を渡り歩き、独りで生き抜いてきた男の、これが人生の歩き方である。
TO SEE THE WORLD, THINGS DANGEROUS TO COME TO,
TO SEE BEHIND WALLS, TO DRAW CLOSER,
TO FIND EACH OTHER AND TO FEEL.
THAT IS THE PURPOSE OF LIFE.
世界を見よう 危険でも立ち向かおう
壁の裏側を覗こう
もっとお互いを知ろう そして感じよう
それが人生の目的だから
僕がネパールに行って目の当たりにしたたくさんの光景や感じたいろいろなこと、出会った人々とのふれあい、交わした言葉。それら全てのことに感謝して、僕は花束を持っていた少女の手にそっと100ルピー札を1枚と溶けかけのチョコレートを渡した。それまでの物憂げな表情が和らぎ、彼女は少しだけ微笑んで僕に花束を差し出してくれたのだった。今日の自分を明日に繋げて生きていく。少女はこれからもラリーグラスのように強く美しく育っていくはずだ。僕もいつか彼女のように強くなりたい。
タイ航空320便カトマンズ発バンコク行きの飛行機に搭乗し、飛び立つとまもなく飛行機の小窓からヒマラヤ山脈が雲のはるか彼方に連なっているのが見えた。
「今回はエベレストもよく見えてるから、先生はラッキーやでえ」
またメガネの奥で師匠の瞳がシャキーンと音を立てて光った。
長いフライトも終わりに近づいて日本列島が見えてきた。次のアイキャンプは8月だからねえと、それだけ言っていつものように税関をスタスタと通り抜け、人混みの中に消えて行く師匠の後ろ姿をぼくはしばらくの間バゲッジクレームの前に立ってぼんやりと眺めていた。
2024年3月ネパール眼科医療視察にて
副院長兼眼科部長 田上 純真