10月講話 ウクライナと種子島 ―戦禍の国から学ぶ―

 

種子島の秋。青く高い空を見上げているとふと思い出したことがある。

「戦火のウクライナから鹿児島市に避難している学生3人が、種子島を初めて訪れ、地元の高校生25人と交流した。互いの国の文化を教え合い、文学やアニメといった趣味の話にも花が咲き、「新しい友達ができた」と笑顔が広がった」

昨年末12月22日付の南日本新聞に掲載された記事である。

 

私たちはコロナ禍から多くのことを学び、ウクライナの戦禍からも学んでいる。2つの原爆を落とされ地獄と化した広島と長崎、大空襲で焼け野原となった東京。今の日本は、「無」と化した焦土から復活した。減少していく戦争体験者たち、風化しつつある戦争の記憶。私たちには忘れてはならない「歴史」がある。今、連日のウクライナ情勢のニュースを見聞きしながら、私たちほど平和の恩恵に浸っている国民はいるだろうかと考えてしまう。

 

アイザック・ニュートンの言葉に「天体の動きは計算できるが、人の狂気は計算できない」がある。プーチンの狂気が世界の秩序と平和、食料とエネルギーの供給を狂わせて1年半が過ぎようとしている。その中で、日本は平和を謳歌、戦禍から目をそらし、ラグビーWCでの日本の活躍に嬉々とし、大谷翔平選手の負傷に落胆、ホームラン王獲得にホッとし、1年後のパリオリンピックを待ち焦がれる。それは平和を求める私たちの中のささやかな狂気なのかもしれない。

 

地球規模のCOVID-19パンデミックとロシアのウクライナ侵攻は、21世紀の世界的事件として、歴史教科書に記述されるに違いない。私たちはその真っ只中に生きている現実に驚愕するばかりだ。ウクライナから避難し、種子島を訪れた学生たちは今頃どうしているだろうか。その後の報道は途絶えているが、きっと鹿児島あるいは日本のどこかでたくましく生活をしていると信じたい。

 

ゼレンスキー大統領が国連安保理で悲痛なまでに訴えたウクライナ復興。1945年の国連創設当初からの原加盟国なのだが、「しあわせの国」になるには、これから何年の時が必要なのだろうか。

そして、「しあわせの島」種子島の平和は、果たして永遠に続くのだろうか。

すべては、種子島に住む若いあなた達にかかっているのだが・・・。

 

病院長 髙尾 尊身