社会福祉士インタビュー「仕事もプライベートも全力投球」 ―種子島医療センターの希望を繋ぐスターたち―<前編>

関わった方たちが笑顔になっていく。それがこの仕事のやりがいです。

 

地域医療連携室で社会福祉士・精神保健福祉士として働く加世田和博さんは、16年前からトライアスロンを始め、毎年、九州管内で行われる大会に参加しています。年を追うごとに自身の記録を更新し、元オリンピアン、国体選手などのトップアスリートも参戦する中、常に60~100位内に入る有名人。すべてに全力投球の加世田さんに、仕事、トライアスロン、種子島で暮らす魅力についてうかがいました。前編では、社会福祉士の仕事について語っていただきます。

 

 

―― 地域医療連携室で社会福祉士・精神保健福祉士としてご活躍ですが、具体的にはどのようなお仕事をされているのですか。

入院、外来患者さんの相談援助、介護申請や障害支援、がん相談、入退院調整、他医療機関・介護支援事業所・施設との連携などが主な仕事ですが、毎日、想定外の相談や援助もあって業務は多岐に渡ります。

 

社会福祉士は、高齢者だけではなく老若男女問わず様々な分野の相談に乗り、相談、援助、調整を通して相談者の解決に導くことができる専門職種です。さらに病院業務を行う上で精神的な障害を抱えている人の退院後の支援なども重要な役割であると感じ、精神保健福祉士の資格を取りました。

 

―― このお仕事を選んだ理由をお聞かせください。

ずっと、地元で福祉の仕事に就きたいと思っていました。きっかけは、私が中学生の時におやじが亡くなったことです。その時にいろんな思いを経験し、困っている人を助けてあげたい、力になりたいという気持ちが強くなりました。

 

大阪の専門学校に行くため、一度は種子島を出ましたが、やはり地元で働きたいなって、すぐ帰ってきました。地元の介護事業所に就職し、ケアマネジャー(介護支援専門員、以下ケアマネ)として主に高齢者のケアマネジメント業務に従事しました。介護保険サービスを受けられるようにケアプランを作成したり、サービス事業所と連絡を取り合って福祉サービスを提供できるよう調整したりする仕事です。

 

―― なぜ、ケアマネから社会福祉士になろうと?

ケアマネとして働くうちに、より幅広い方々をより広くサポートできる社会福祉士になりたいと考えるようになりました。ちょうど6年ほどたった頃、当院が田上病院から社会医療法人に改組し、地域がん診療病院として社会福祉士が必要というタイミングで声をかけていただき、入職と同時に社会福祉士の資格を取ることにしたんです。

 

―― 合格が難しい資格と言われていますが、一発で合格されたのはすごいですね。仕事をしながらの取得は大変だったのでは?

ケアマネとして相談実務経験があり実習が免除されたので、時間や費用の面でも助かりました。でも受験勉強だけとはいえ、正直辛かったです(笑)。隙間時間を有効に活用して1週間のスケジュールを組み、妻の協力をもらいながらやり抜きました。

 

遠回りしましたけど、今振り返ると良かったと思います。現場を知っているからこそ、学生時代は嫌いだった勉強が身近に感じてより理解できたし、身についたような気がします。

 

―― 社会福祉士としていろんな経験が役立っているんですね。

ケアマネの頃よりも広いサポートができているように感じます。患者さんが介護認定を受けていたり、認定を受けてから退院したりするケースもあるので、各事業所のケアマネさんとは毎日、連絡を取っています。ケアマネの立場や気持ちがわかるので仕事がしやすく、この資格を取ったことで活動の幅も広がり、様々な分野の相談業務に対応できるようになりました。

 

―― 仕事の面白さ、やりがいはどんなところでしょう。

入院して来られる患者さんは高齢者が多く、中には介護の支援も受けていない、独居の方もいらっしゃいます。退院後に限られた地域資源の中でどのように生活していけるか、いかにおうちに帰ってサポートを受けられるか、行政、ケアマネ等と連携を取りながら一緒に考えていきます。インフォーマルな支援を受けられる方については、ご家族や介護協力者などの協力をもらい退院支援に繋げていくことが重要です。

 

例えば、デイサービスでお風呂に入れるようにしたり、宅配弁当を手配したり、いろんなサポートを受けられるようにすることで、生活環境が良くなり、孤独じゃなくなります。患者さんと関係機関等と結び付け、住み慣れた地域でその人らしい生活が送れるよう連携を図ることが私たちの役割の一つだと思いますし、関わった方たちが笑顔になっていくところが、この仕事の面白さだと思います。

 

 

―― 私の母はがんを患い自宅で介護して看取りましたが、在宅で支える家族の不安は相当なものです。社会福祉士さんを始め、医師、訪問看護のみなさんには、精神的にも随分支えていただきました。

最近は、島外にがん治療を受けに行って治療が出来なくなり、最期は種子島に帰って自宅で過ごしたいという患者さんが増えています。当院の地域医療連携室では、そうした方々の受け入れを調整して、残された時間を少しでも有効に過ごしていただくお手伝い、支援もしています。

 

例えば釣りが好きな方には、ちょっとの時間でも釣りに行けるようサポートをしてもらったり、ある患者さんは自分が作った神社を見たいというので、病院から退院する際、その神社を経由して送るようにしたり……。できることは可能な限り叶えられるように心がけています。

 

―― 自宅でも安心して快適に過ごすことができるようにサポートしていただけるのは、本人はもちろん、家族にとってもしあわせです。

そのためには安全の確保が大前提です。それが可能なのは、種子島医療センターが急性期から回復期、在宅医療まで幅広く対応していることや地域がん診療病院でもあることが大きいと思います。当院には、経験が豊富でトータルで看られるスタッフが多いので安心ですし、頼っていただければと思います。

 

―― 先ほど種子島には地域資源が少ないとうかがいました。厳しい環境の中、どのように工夫されているのですか。

島内での施設閉鎖や介護職員の減少が進み、地域資源の確保は本当に難しくなってきています。ですが、お互い支えあうという種子島の地域性もあって、みんなが手を差し伸べてくれるので助かっています。

 

職員の高齢化もあり、ますます大変になってくると思いますけど、介護を支える方の協力なしでは生活できない方も多いので、安心して退院できるように、これからも訪問看護・訪問リハビリ、ヘルパーさん、ボランティアスタッフや関係機関等を巻き込み、サポートできる体制を整えていきたいと考えています。

 

 

 

後編へ続く(2025年2月掲載予定