種子島医療センター

認定作業療法士インタビュー「人生を豊かにしてくれる、この仕事に魅せられて」<前編>

生きることのすべてに関わる仕事なので、学びに限界がないんです。でもその分、たくさんの感動があります。

 

認定作業療法士の酒井宣政さんは、大阪府のご出身です。学生の頃からバンド活動に熱中し、高校を中退したという酒井さんですが、作業療法士という仕事に出会い一念発起し、24歳で専門学校に進学。その後は作業療法士の教師となり、サーフィンで種子島を訪れたことをきっかけに当院へ入職しました。今年で勤続21年を迎え、現在はリハビリテーション室長として患者さんと向き合っています。

「作業療法士という仕事は、患者さんの幸せだけでなく、自分自身も幸せにしてくれる。人生を豊かにしてくれた」と語る酒井さん。コロナ禍の2022年には、種子島で開催された第32回鹿児島県作業療法学会で学会長を務め、2024年には難関とされる認定作業療法士の資格を取得。仲間とともに療法士の可能性を広げています。酒井さんを作業療法士へと惹きつけ、そして種子島に留まらせるものは何なのか。前編では、作業療法士という仕事の魅力と認定作業療法士資格を取得した理由について語っていただきました。

 

 

 

—— まずは、作業療法士とはどのような仕事なのか教えていただけますか?

作業療法は1917年にアメリカで始まったリハビリの専門職です。食事や入浴、仕事、趣味など、日常の「作業」には、心や体を整える力があることに注目し、病気や障がいのある方の社会復帰を支えるために誕生しました。その人らしい日常や社会参加を取り戻すことを目的に発展してきた仕事です。

 

理学療法が「立つ」「歩く」といった身体の動作を中心にサポートするのに対し、作業療法は生活全体を見つめます。服を着替える、ご飯を食べる、トイレに行く、買い物に出かけるといった生きることのすべてが対象。言うなれば、“生活のジェネラリスト”なんです。

 

—— 実際には、どんな支援をしているのですか?

病気やケガの直後である急性期では、食事や着替え、排泄などの入院生活の暮らしに関わる行為にアプローチをします。動作練習をしたり、動作しやすい様に環境を調整したりします。例えば食事し易い様にスプーンを太柄にしたり、手すりを設置してポータブルトイレを使用できる様にしたりなど環境調整も行います。

 

回復期には、家事や買い物など、より実践的な動作を通して「暮らしの質」を高める支援を行います。退院後の生活期には、在宅で快適に過ごせるよう、住環境の調整や福祉用具の提案、家族や職場との連携などを行い、地域での生活をサポートします。

 

—— リハビリの範囲がとても広いですね。

当院には外来リハビリテーション、急性期病棟や回復期リハビリテーション病棟、地域包括ケア病棟の他、訪問リハビリテーション、介護老人保健施設「わらび苑」といった関連施設があります。これまでほぼすべての分野に関わってきました。ある時期には、0歳の乳児と100歳の患者さんを同時に担当していたこともあります。

 


—— 患者さんとの距離がとても近い印象ですが、種子島という土地柄でしょうか。

そうですね、それはありますね。

担当ではありませんでしたが、当院でリハビリテーションされていた患者さんが、郵便局で年賀状を買われている姿を目にしました。一生懸命に杖をついて入って来られ、「年賀状を5枚ください」とおっしゃって。作業療法だけでなく当院のリハビリテーション部門が暮らしを支えていることを目の当たりにした瞬間でした。

 

種子島では、リハビリ後の患者さんを外でお見かけすることも多く、そのたびに「自分の仕事が、この人の暮らしの力になっている」と感じます。大阪にいた頃には味わえなかった喜びですね。

 

—— 年賀状といえば、毎年、お正月には病棟に手作りの“神社”を設けられ、入院患者さんがお参りされていますね。

はい。リハビリの理念である「暮らしを大切にする」という想いを形にした取り組みです。人は、普段の生活の営みを続けることで健康を保っています。でも病気になると、それが難しくなり、リハビリの効果も十分に発揮できなくなってしまう。

 

そこで、「病棟で初詣ができたらどうだろう」と考え、手作りの神社を設置したんです。お参りを楽しまれる患者さんの姿に、病棟全体が明るくなるので、やってよかったと思っています。

 

—— リハビリの一環でもあったんですね。

“生活そのものの行為”を通じて支援する作業療法には、その人が自分らしく、生き生きと暮らせるようにするという視点がとても重要なんです。

 

そのことを後輩の作業療法士たちにしっかりとわかってほしかったし、そういう意識を持って患者さんに関わってほしいという気持ちもありました。

 

 

—— 本当に素敵な発想ですね。作業療法士の仕事の魅力を改めて感じます。

0歳の乳児から100歳の方まで、できるだけ穏やかに、調子よく過ごしてもらえるようお手伝いするのが私たちの役目です。それぞれの「その人らしい暮らし」に寄り添い、何より“愛情を持って仕事ができる”——それが作業療法士の一番の魅力です。

 

生きることのすべてに関わる仕事なので、学びに終わりがない。でもその分、たくさんの感動があるんです。

 

—— とはいえ、大変なことも多いのでは?

そうですね。作業療法は「作業」という言葉の定義が広い分、迷うこともあります。

 

「患者さんが少しずつ元気になっていく」ことはやりがいですが、自分の立ち位置に悩む人も少なくありません。私自身も「作業療法士って何だろう」と、ずっと考え続けながらやってきました。

 

だからこそ、研修会や勉強会には、これまで積極的に参加してきましたし、今もそうしています。

 

—— 当院の療法士のみなさんが勉強熱心なのは、そういう背景もあるのでしょうか。

新しい情報を取りにいかないと、効果が出にくかったり、時代に合わないやり方になってしまったりすることもあるので、後輩たちにも、常に知識をアップデートするように指導しています。

 

これは、アメリカの作業療法を見学に行かれた方から聞いた話なんですが……。下肢に麻痺のある方の着替えを手伝うとき、日本では療法士が服を選んで、手取り足取り着替えをさせるのが一般的です。でもアメリカでは、まず本人に「どの服を着たいか」を選んでもらい、できる範囲で自分の力で着替えるように促すんだそうです。“自分の意思で行うこと”を、とても大切にしているんですね。

 

確かに、誰かがやってくれれば生活はできます。でも、それだけでは本当の意味での回復とは言えません。「できる」「できない」だけに目を向けてしまうと、結果的にその人の力を引き出せなくなってしまうからです。

 

同じことをしていても、その人の意思を尊重するかどうかで、結果がまったく変わる。その気づきは大きかったですね。“そこを大事にしてこそ、作業療法なんだ”と、改めて作業療法の奥の深さを実感しました。

 

—— そんな中、昨年「認定作業療法士」の資格を取得されました。挑戦した理由は何ですか?

認定作業療法士は、臨床・教育・研究などで一定の水準を認められた療法士に与えられる資格です。認定看護師や認定理学療法士には専門分野がある一方で、認定作業療法士には専門分野にとらわれず、広い視野で人の暮らしを支援できる“ジェネラリスト”としての力が求められます

 

私は長年「食べる」という行為を中心に学んできました。食べることの障害は、子どもから高齢の方まで誰にでも起こり得ます。

その方の人生や背景を理解したうえで支援する——それが、質の高いリハビリにつながる。それには自分の得意分野だけでなく、全体的に力をつけなければいけないと常に感じていましたし、同時に周囲のスタッフの力も一緒に高めていかなくてはいけないとも強く思うようになって。

 

そうした“土台づくり”をしっかりやっていきたいという気持ちも後押しとなりました。

 


—— 取得条件が厳しく、とてもハードルが高い資格だとうかがっています。でも、ずっとチャレンジし続けてきた酒井さんにとっては、これまでの延長線上なんですね。

新しい知識や情報を得て実践していくうちに、目の前の患者さんが少しずつ元気になっていく。その積み重ねを振り返ると、気づけば「自分のためにやっていたこと」が、いつの間にか「人のためにもなっていた」——この21年は、そんな歩みだったように感じます。

 

これまでは「キャリアアップ」という意識はなく、ただその時々に必要なことを、がむしゃらにやってきただけでした。けれど室長という立場になってからは、自分自身がもっと成長しなければ、と強く思うようになったんです。そうでなければ、患者さんにもより良い支援ができませんし、後輩たちも困ってしまいますから。

 

認定資格を取得することで、臨床により自信を持って臨めますし、後輩の育成にもきっと活かせる。そう考えて挑戦を決めました。

 

—— とはいえ、資格を取得するのは大変だったと思います。仕事をしながら取得できた秘訣を教えてください。

ちょうどコロナ禍で、オンラインで研修や発表ができるようになったのは本当に助かりました。

研修では最新のリハビリの知識や技術を学べて、どれも現場に直結する内容ばかり。資格のためというより、「学んだことをすぐ実践しなきゃ」という思いが強くて、オンライン研修でもよく質問していました(笑)。

 

資格を通して島外の作業療法士の方々ともつながることができ、情報交換や交流を楽しめたのも励みになりましたね。同じ志を持つ仲間ができたことも、最後までやり遂げられた大きな支えだったと思います。

 

—— 取得後の変化はどんなところにありますか?

一番大きいのは、物事により積極的に関われるようになったことですね。

これまで思うように進まないときは「まぁ仕方ないか」とあきらめてしまうこともありましたけど、「どうすればみんなが成功できるか」を真剣に考えるようになり、日本全体の作業療法士の質の向上にも貢献したいと思うようになりました。

 

—— これからどうしていきたいですか。目標があったら教えてください。

少しずつ研修の講師として声をかけていただくようになりました。

また、病院の理解もあって、鹿児島県作業療法士協会の運営にも関わらせてもらっています。今後は、鹿児島県作業療法士協会の運営にも携わりながら、鹿児島、そして日本全体の作業療法の質を高める活動に関わっていけたらと思っています。

 

—— 酒井さんの作業療法士という仕事への深い愛情と熱意が伝わってきます。次回は、なぜこの道を選び、大阪から種子島へ渡り、21年間この地で暮らし続けているのか。その理由を伺います。

 

後編へ続く(2025年12月掲載予定)