スマートフォンで目にするニュースは、遠い異国の出来事として流れ去っていく。ウクライナという国名が私たちの日常に馴染んでしまった今、私たちはその真実の、そして最も痛ましい部分を本当に知っているだろうか?
かつて、人々が病を治し、命を育む場所だった病院が、今や瓦礫の山と化している。子どもたちが治療を受けるはずだった病室に、砲弾の破片が突き刺さっている。医療従事者たちは、いつ空から爆弾が降ってくるかわからない恐怖の中、血まみれになった人々の手当てを続けている。彼らが守ろうとしているのは、単なる患者の命だけではない。それは、人間としての尊厳であり、希望という名の光なのだ。
私たちは、ニュースの短い映像で、この悲劇を理解したつもりになっていないだろうか? 破壊された病院の数、殺害された医療従事者の数。それらの数字の背後には、一人ひとりの人生と、癒えることのない悲しみがある。
病に苦しむ人々が、治療を受けるために何日も危険な道を移動しなければならない現実。戦争の音に怯え、精神を病んでいく子どもたち。手足を失い、それでも明日を生きるためにリハビリを続ける兵士や市民たち。そして、そんな彼らを支えるための薬や物資が、日々不足していくという絶望的な状況。
それでも、私たちは知っているだろうか? 瓦礫の中で、たった一本の点滴を求めてさまよう人々の姿を。たった一枚の包帯を大切に使い回す、医師たちの苦渋の決断を。恐怖に震えながらも、患者の手を握りしめ、「大丈夫」とささやく看護師の声を。
遠いウクライナの地で、医療は単なる技術ではなくなっている。それは、人間の強さと優しさ、そして決して諦めないという意志の表れだ。私たちの支援が、彼らの手に届く一本の絆創膏となり、一つの命を救う力となる。
ウクライナ医療の真実を知ることは、世界の悲劇を他人事ではなく、私たち自身の問題として受け止め、種子島の日常としあわせを噛みしめることに繋がる。私たちは、平和としあわせへ貢献する確かな医療を一歩ずつ歩もう。
病院長 髙尾 尊身