今月は救急月間です。
「救急医療は二度選ぶ」——その言葉が問いかけるものを考えましょう。
救急車を呼ぶ、その一瞬の決断。 多くの人にとって、それは人生でそう何度も経験することではない、非日常的な出来事です。激しい腹痛、突然の呼吸困難、意識の混濁。自力ではどうにもならない状況に直面した時、私たちは迷わず「119」を押す。その時、私たちは「一度目の選択」をしています。自分自身の命を預ける、最も切迫した選択です。
しかし、近年、この「一度目の選択」が抱える問題が浮き彫りになっています。軽症にもかかわらず救急車を呼んでしまうケースが増え、本当に一刻を争う重篤な患者への対応が遅れる事態も少なくないのです。救急車のサイレンが街に響くたび、私たちはその背景にある医療現場のひっ迫を、そして自身の判断の重さを、改めて問われているのかもしれません。
そして、救急車が到着し、搬送先の病院のベッドに横たわった後、私たちは「二度目の選択」に直面します。救急医は、限られた時間の中で最善の診断を下し、治療方針を提示します。その説明を聞き、治療を受けるかどうかを最終的に決めるのは、患者自身、あるいはその家族です。この「二度目の選択」は、必ずしも一回目と同じように緊急性を伴うわけではないかもしれません。しかし、それは自身の身体に何が起こっているのかを理解し、今後の人生を左右するかもしれない治療に同意するという、もう一つの重要な意思決定なのです。
「救急医療は二度選ぶ」という言葉は、単なるスローガンではなく、患者一人ひとりが救急医療の現状を理解し、主体的に関わっていくことの重要性を私たちが認識する言葉です。命を預けるという受動的な立場だけでなく、自らの健康と命に責任を持つ能動的な態度。その両方が備わって初めて、私たちは本当に必要とする医療を、そして救急医療全体がより良い方向に進むための道を選ぶことができるのです。
救急医療の人命尊重、重要性、大切さ、公益性を考える救急月間にしましょう。
病院長 髙尾 尊身