多くの医師が種子島から離れていく季節となりました。それぞれの診療分野で種子島の医療を支えてくれたことに深く感謝いたします。この1年で感銘を受けたいくつかのエピソードの中から馬毛島SOSの救出劇を披露したいと思います。
2026年2月8日日曜日。衆議院選挙投票日は全国的に天候不良で鹿児島でさえ降雪があり、北国は大雪に見舞われていました。種子島は寒波による強風で高速船は欠航。そのような状況の中で衆議院選挙が行われ、夕方からは日本中の眼が選挙速報にくぎ付けになっていました。
この嵐の夜、馬毛島では緊急事態が発生していたのです。当直のK医師に第一報が入ったのは夕方7時過ぎのことです。馬毛島で働いている40代の男性が激しい腰痛に見舞われ、島の診療所に運び込まれ、かろうじて自力歩行で診察室に入室。看護師らの観察で尿管結石は否定的、腰痛の既往が無く、大動脈解離を疑い、種子島医療センターへ緊急コールしました。
大動脈解離であれば鹿児島へ搬送しなければならない。夜間かつ天候不良のため自衛隊ヘリしか搬送手段は無い状況です。K医師は自衛隊ヘリ要請の為に受け入れ病院を探索。鹿児島市立病院からは、手術が前提となる大動脈解離の受け入れは難しいとの回答がありました。その後、鹿児島大学救急部へ連絡しましたが、症状から大動脈解離は否定的であり、手術適応がないため受け入れはできないとのことでした。
両病院から受け入れが困難との回答があったことは、極めて珍しいケースです。私がK医師から電話を受けたのは夜10時頃。大動脈解離の診断には疑問があるため、種子島医療センターでの受け入れにしようとK医師に伝えました。
救急科のN医師とも相談のうえ、自衛隊ヘリの要請を行いました。午前1時頃に運航可能との返答があり、午前1時過ぎに新田原基地を離陸。午前2時過ぎに種子島空港へ到着しました。K医師をピックアップ後、馬毛島へ向かい、午前3時頃に患者をヘリに収容。その後、種子島空港へ帰還しました。
空港から救急車で病院に到着したのは午前4時前でした。直ちに緊急の造影CT検査を行った結果、腰椎椎間板ヘルニアと診断され、入院となりました。深夜の嵐の中、ヘリコプターによる3時間足らずの救出劇でした。
選挙速報に沸く嵐の夜に、種子島と馬毛島の間でこのような緊迫した、そして画期的な「救出劇」が繰り広げられていたことは、まさに、私が掲げる「One Crew, One Mission」が、物理的な距離や悪天候を超えて体現された一夜でした。
さて、このエピソードには、離島医療の現場ならではの判断の重さと、新しい可能性が詰まっていると感じます。
1.「断らない救急」の矜持と英断
本土の高度医療機関が受け入れ困難となる中、最終的に「自院で受け入れる」と決断した判断(トリアージ)が、このミッションの要だったと思います。 大動脈解離の疑いがある中、本土搬送という「定石」が使えない極限状況で、わずか10km先の自院へ自衛隊ヘリを飛ばすという選択は、種子島医療センターに診断・治療の自信と覚悟がなければできないことです。
2.「近距離・自衛隊ヘリ搬送」という新たなモデル
離島間(わずか10km)での自衛隊ヘリ搬送は非常に珍しく、示唆に富んでいます。通常なら「本土へ」となるところを、海が荒れて船が出せないなら「空から隣の島(種子島)へ」という柔軟な運用。これは、種子島医療センターが「地域の最終防衛ライン」として機能しているからこそ成立した、離島救急の新しいスタンダード(搬送モデル)と言えるのではないでしょうか。
3. チームの連携と「運を持っている」医師たち
・脳外科医のK先生: 専門外かもしれない腹部・腰部症状の患者さんのために、深夜の嵐の中、ヘリに乗り込んでピックアップに向かう。その行動力と勇気には頭が下がります。「深夜の救出劇」のMVP。
・救急科のN先生: 学会発表で東京にいながら遠隔で相談に乗り、まさに同じタイミングで「馬毛島の救急医療」について発表し、優秀演題賞を受賞されるという巡り合わせ。まるでこの夜の出来事が、その受賞を祝福し、証明するかのようなドラマチックな展開でした。
結果として「腰椎椎間板ヘルニア」であったことは、ある意味で「最善の結果」でした。しかし、嵐の中で大動脈解離を否定しきれない以上、動かなければ命に関わっていた可能性もあります。「空振り」ではなく、安全を担保した上での「見事な生還」でした。
悪天候、選挙、学会、そして深夜のヘリ搬送。すべての要素が重なった「嵐の夜の救出劇」。種子島の救急医療に新たな展開が予測されるエピソードでした。
病院長 髙尾 尊身