種子島の夏がやってきました。多くの方が蒸し暑くて大変だと言います。灰が降る鹿児島からやって来た私にとっては何の問題も無く快適な夏に感じます。職員の皆さんはどうでしょうか。完璧な気候あるいは環境などあるはずが無いので種子島の夏を精一杯楽しみましょう。
さて、この4月以降、将来教科書に載るであろう天災が隣県で起こり、5月には歴史的なイベントがありました。熊本大地震と現職の米国大統領が原爆の被災地広島市を初めて訪れたことです。オバマ大統領は「核なき世界」の実現に向けた格調高いスピーチを発信しました。皆様にはこのスピーチの全文を読んで、核の理想と現実に関心を寄せて頂きたいと思います。今日は、熊本地震のその後についてお話します。
新入職者歓迎会を5月13日に行いましたが、その時の参加費を熊本地震の義援金として皆さんに寄付していただきました。その金額が7万五千円程度になりどのように使うかを考えていました。日赤へ募金するのは私どもの顔が見えず、かつ被災者に直接届いたか否かも定かではありません。そこで、被害に遭った病院を探していたところ、大学からの情報で高野病院(大腸肛門病センターで有名)が被害に遭ったことを知りました。この病院の理事長(山田一隆先生)が私の後輩でこの秋に日本病院学会を主催することになっています。なので、彼に手紙を書いて支援したい旨を申し出たところ、電話を頂きました。
彼は熊本地震の激烈さを怒涛の如く話してくれました。また、職員一同、患者さんの搬送で大変苦労したこともお聞きしました。ようやく患者への対応が復活出来たところでした。ただ義援金の申し出はやんわりと断られ、その気持ちだけで結構ですとのことでした。
確かに、7万5千円、いや百万円支援したところで彼らにとっては重荷になるかなと思い、代わりに種子島の特産品を送ろうと考えました。冷凍された安納芋の焼きいもと種子島の焼酎(種子島医療センターのラベル付き:病院祭で配布予定で注文済み)を送りました。直ぐに電話がありました。びっくりしたけれど、職員がすごく感謝してあっという間に無くなったそうです。そして、何より嬉しかったことは職員の笑顔だったそうです。地震以来久々の笑顔だったそうです。私ども職員の義援金で購入した種子島の特産物であることを伝えると、本当に感激されてました。
話の最後に、秋には復興中の熊本を是非見て欲しいとのことでした。
今回は、種子島らしい支援が出来たと私も嬉しく思っています。皆さんの善意が相手に通じた事実は大変大きいと思います。歴史に残る天災にDMAT派遣と物資の支援で種子島医療センターが関わることが出来たことは皆さんの誇りでもあるのです。病院名を変更したことでその効果が倍増したと思うのは私だけではないでしょう。
今月も真摯にかつ丁寧な診療に頑張りましょう!
髙尾 尊身