母親が認知症になりました。
認知症は誰がなってもおかしくない病気であること、そして防ぎようもない病気であることは、普段から高齢者と多く接する医師として理解できているつもりです。
だから、私の名前を呼べなくなっても、私のことを分からなくなっても、それは受け入れるしかなく、今の私が母親に対して出来ることは寄り添うことだと思っています。
これまで多くの患者さんを診させていただいた経験から、私の家族にもいつかはこんな日が来るだろうとは思っていました。その時に何を感じるかなんて想像もしていませんでしたが、いざなってみると、思い出すのは元気だった時の母親の笑顔です。
まだ幼稚園のころでしょうか。
両親が長期の旅行に出かけました。祖父母や兄弟がいたのでとりわけ寂しいとは感じてないつもりでしたが、昼間に散々遊んだ後、夕方になって日が暮れてくると、病院の前の坂から港の方にみえる夕日をみながら、母親の笑顔を思い出し、何だか寂しくなり、ひとりめそめそしていていました。
また、大学生になり福岡で初めて一人暮らしを始めるときのこと。
下宿に引っ越す際に母親が付いてきてくれました。部屋に必要なものをスーパーで一緒に買い物しているときから、何だか寂しくて母親の顔をまともにみることが出来ませんでした。部屋に荷物も運び入れて片付けも終わり、母親が私を置いて帰る時間になりました。部屋の入口で「じゃあ頑張ってね」と言った母親の笑顔をみると、私は涙がこぼれおちそうになったので、急いで部屋のドアを閉めました。窓の外をみると、下宿の前の道をとぼとぼ歩いていく母親の後ろ姿が見えて、私は涙が止まらなくなりました。
病院には多くの認知症の方がおられます。
私と同じように、みなさんそれぞれに家族がいて、それぞれにかけがえのない思い出があると思います。毎日の仕事はとても大変だと思いますが、私達は、そんな大切な方々をお預かりしているのだということを忘れてはいけないと思います。
そして、これからも一人ひとりを大切にする病院でありたいと思います。
さて、今回この場を借りて、家族を預けている者の一人として、お世話頂いている職員の皆様に感謝申し上げたいと思います。いつもありがとうございます。
私が毎朝、母親の病室を訪れて「具合はどう?」と尋ねると「あんた、今から何するの?」と聞かれるので「仕事してくるから」と答えます。
心の中では「あなたたち夫婦が作ってくれたこの病院で、今日も島の人のために頑張って働いてくるからね」と答えているつもりです。
理事長 田上 寛容