種子島医療センター

田上理事長の講話
令和7年12月


 下石寺にサムズというお店があるのは皆さんご存じだと思います。

 そして、そこが昔のボーリング場だったということを知っている方も多いと思います。今でもボーリングのピンの形の看板の名残があるからです。私が小さい頃はボーリングブームで老若男女が熱中した時代でした。私の父親も毎晩の様にボーリング場に通っていたのを覚えています。父は土曜日の夜などは子供たちも時々連れて行ってくれていました。そして、私達子供がいくと、そこにいた大人がよく面倒をみてくれました。

 インベーダーゲームを教えてくれた支配人のおじさん。アイスクリームを食べさせてくれた喫茶店のおばちゃん。ボーリングを教えてくれたプロ並みに上手いおじさん。フロントで働いていたお姉さん。本当に多くの人たちにお世話になったこと、うろ覚えですが、懐かしく思い出されます。

 もちろんボーリング場だけでなく、私が幼少の頃からいろいろな場面でお世話になった方々は種子島にはたくさんおられます。それから40年以上が経ち、今ではそんな方々が患者さんとして外来に来てくれています。小さい頃に家族のようにお世話になった方々が診察に来てくれると、今度は私がみなさんのお世話をする番だという気持ちになります。

 種子島では家族や親戚のことを“けなー”といいます。使い方としては、血のつながりがある人はもちろんですが、それ以外に何かしらの関係がある人たちのことも指します。

 そういう意味では種子島の人はみなさんが私にとっての“けなー”です。つまり、種子島の方々とのつながりをたどっていくと、これまでの仕事や生活において何らかの関係があった可能性のある人達がほとんどではないかと思うからです。

 

 私は患者さんを診る上で今でも大事にしていることがあります。

 それは「患者さんを自分の家族と思って接する」ということです。もちろん“けなー“であろうがそうでなかろうが、それにより診療が変わることがあってはならないのですが、”けなー“と考えるだけで、何か今以上のことが出来る気がします。

 

 令和7年12月8日で病院が始まって56年目となります。

 これまで本当に多くの“けなー”が病院と関わってくれました。そして今ではその“けなー”が病気に困り病院に来てくれています。これからもみなさんと一緒に“けなー”のために日々の仕事を頑張りたいと思います。

令和7年12月

理事長 田上 寛容