種子島の西之表松畠に生まれたひとりの少年がいました。
海で遊ぶのが好きで、家の近くの美浜海岸で釣りや素潜りをして遊ぶ日々でしたが、高校の先生だった父親からは常々「島の人の役に立つ人間になれ」と言われていました。
少年は美浜の磯で釣り糸を垂れながら、眺める海の向こうに入道雲がムクムクと立ち登る姿をみて、将来は島の人のために働こうと心に決めたのでした。
それから時が過ぎ、昭和44年12月。
その少年は、自分の家があった松畠に内科の診療所を開きました。
それは小さな診療所で、病室は馬小屋を改装したもの、職員はほんの数人でしたが、開業した時から、ひとつの誓いを立てました。「患者さんを絶対に断らない病院にする」。
もちろん、その頃は救急病院など無い時代です。24時間の急患の受け入れ、往診の依頼も断ること無く、寝るのも惜しんで診療する日々の始まりでした。
最初は孤軍奮闘する毎日でしたが、島の人のために身を挺して診療を続ける姿に、私も島民のためになんとかしたいという職員が増えていきました。また必要な診療科も加えて、病院は少しずつ大きくなりました。
それから55年が経ち、その小さな診療所は種子島医療センターとして、種子島には無くてはならない病院となりました。
少年が美浜で大志を抱いた時、自分の思いが、将来こんな形になるなんて想像もしなかったでしょう。では、どうしてこれだけの病院になる事ができたのか。
理由はただ一つ。最初に病院を始めた時の思いを常に忘れなかったから。
それは「病気で困る島の人をなんとかしてあげたい」という思いだったのです。
令和6年12月8日はこの病院の55年目の開業記念日でした。
今年も島民のために一緒に働いてくれた職員の皆様に心から感謝致します。
皆さん元気で良いお年をお迎えください。
理事長 田上 寛容
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